断酒725日目 なぜ途中で飲んでしまうのか考えてみた

どうも、メケです。

2年近くオンライン上で断酒しているといろんなシーンに出会う。

一番遭遇するのが、途中で飲んでしまうシーン。

本人もつらいだろうし、周りの人もどうすることもできない。

飲んじゃったら仕方ない。

そう、周りの人は「仕方ない」って思えるのだ。

なぜ、本人は飲んだ自分を責めるんだろうか。

余計、つらいよね。

自分で「こうじゃなきゃいけないとか」あるべき姿を思い描いて、それにはめ込もうとする。

はまらないとしんどくなる。

自分のせいだと思っちゃって、自分を嫌になる。

ああ、これって、以前の自分を見ている様でこちらもつらい。

どうしても、人の感情が自分の中に入って来ることがあって、この「つらさ」は自分ではどうしようもできない。

こればっかりは仕方ないのだけども、こう言う「つらさ」ってできれば、あまりお目にかかりたくはないシーンだ。

いまでは、そこまで他人の感情が自分に入ってこなくなってきているみたいで「つらさ」もだいぶん楽にはなった。

とは言え、どうしても頭の中から「なぜ飲んじゃうのか」が離れないのは変わらない。

飲みそうな人(断酒中断しそうな人)が、自分でつらい方につらい方に考えて、閉じこもってしまうのは、なぜなんだろうか。

結局それが負のスパイラルの入り口なのに。

お酒のせい。

飲んでないのに、飲酒状態に近い思考になっていることに気が付いていないんじゃないかな。

飲んでないけど、お酒のせい。

いや、気づいているのかな。

で、どうにもならなくなっているのかな。

本人のみぞ知ることだ。

飲酒時の思考状態でないときは(ま、飲んでなくっても飲酒時の思考に近くなる時はあるのだけれども)「つらい方に入っているのが第三者的に分かる」んだけども。

でもね、実際次に自分がそうなっ(飲酒状態に近い思考、もしくは飲んでしまっ)たら、それが分からないんだよな。

で、つらい思考に入っていってしまう。

お酒のせい。

もうね、自分のね、飲んじゃった時の思考パターン完全に読めてる。

なのに、これを分からなくさせるのがお酒の怖いところ。

お酒がないといけないように仕向けられていることに気づけなくなるのがお酒。

飲んじゃうとはまっちゃう。

お酒ってやつは抜け出せられなくさせるモノって分かってるんだよね。

飲んだらやばいんだよ。止まんないから。

じゃ途中で飲むのはなぜ?

前置き長かったけど、ここが本題。

断酒中に飲むってなぜ?

飲んでないのに!

飲んでないのに飲んだ時と同じような思考状態になっちゃってるんだ。

自分の場合はそう。

そこに気づければ、「最初の一杯」はコントロールできる。

結局、飲んでない時に飲んだような思考状態がどんな感じかっていうことかを気を付けていないといけないということに尽きる。

とはいえ、なかなかねぇ。

もう、しかたない。

やばいって思ったら、ラッキーだ!

何か気をそらそう。

一晩寝れば静まるかもしれないし、何か他のことで気を紛らわすしかない。

そして気持ちが落ち着いたときに、冷静に振り返る。

これを繰り返して積み上げていくのが一番手堅い。

長く断酒できている人はますます長く断酒できているのは、きっとこういうところにあるんじゃないかな。

なんて、勝手に思ったりしている。

ということで本日はいろいろ自分で思考を巡らせながら書いたので、分かりにくい文章になってしまったけども、まとめよう。

なぜ、途中で飲んでしまうのか?に対して

私なりの答えは

飲んでないのに飲酒状態と同じような思考パターンになっているんじゃないかな。

つまり「つらい方へつらい方へ思考しているんじゃないだろうか」。

もっと、適当にぼちぼちと楽に生きようよ!

何か嫌なことがあって思うようにいかないことがあっても「そうだね。そういこともある。仕方ない。」って思おうよ。最初は「くっそう」って思うだろうけど・・・。

「つらく考えんとこう!」

もうね、そういう気持ちでやっていこう!

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