「アサヒ ゼロ」をどう思うか やっと酒をやめられた断酒6年目を過ごす私の感覚

~2018.12.24

記2024.4.14

どうも、メケです。酒やめて1939日目。

 

クリーン戦略「アサヒ ゼロ」

昨年から「アサヒゼロ」なるノンアルコールビールがちらほらと視界に入ってきている。あの青いデザインのやつだ。

最近になっていよいよ全国展開し始めたのかあちこちでCM、チラシを目にする。

何が目を引くかというと、ビールテイストという言葉だ。一度ビールを醸造した後に2回脱アルコール工程を行う製法らしい。そして本格感を起想させるためにわざわざ本物のビールそっくりのデザイン。

アサヒは「環境」「コミュニティ」「責任ある飲酒」「健康」「人権」というキャッチフレーズのもと、飲み方の多様性を提唱してきているではないか。

 

とてもクリーンなイメージではないか。

これなら飲んでもいいんではないかい? って思わないかい?(ストゼロは企業撤退も手伝ってダークなイメージになりつつあるし。。。)

 

私は酒やめて何年もたつが、このクリーンなイメージのノンアルビール「アサヒ ゼロ」に若干ではあるがときめいてしまった(言っちゃったよ)。

 

うまそうではないか!

 

いやいや。

 

だがどうだろう。

これが再飲酒の「呼び水」になったりはしないだろうか。

 

今一度ここで「なぜ自分は酒をやめ、ノンアルビールまでもやめたのか」ということを思いだそうではないか。

 

酒をやめたのは「酒から解放されたかったから」だ

酒は飲みたいときにだけ飲めればなんてことはない。軽くほろ酔いになって、軽くストレス発散する程度で飲むのをやめられればなんてことはない飲み物なのだが。。。

私はついついたくさん飲んでしまう。

 

じゃぁ、そんな日は飲まなきゃいいじゃないかと思うだろう!

今日は飲みたくはないという日もあるし、飲んだらイケナイ日もある。

なのにそれでもついつい飲んでしまうんだ。

飲みたくないのに飲んでしまう。

これほどつらいことはない。

酒に自分の「飲む飲まない」の自由を奪われているんだ。

選択権が自分にないのだ。

だから、私はきっぱりと酒をやめたのだ。

酒から解放されるために「酒をやめた」のだ。

 

 

 

ノンアルをやめたのは「呼び水」になって再び「泥沼」に舞い戻りたくなかったからだ

私はきっと生涯にわたって酒はやめ続ける。

途中で飲もうがどうしようが必ずまた酒を呑まない生活に舞い戻る。

だがしかし、もしも再び飲んだなら「酒をやめたくてもやめられない苦しみ」をまた体験しなくてはならないだろう。

 

飲んでもどうせまた酒をやめるのだから。

 

酒をやめるのが分かっているのに、わざわざまた酒飲んで「やめられない苦しみ」を味わうのか。

 

その「苦しみ」は飲んだ分だけ余分なんだよ。

飲まなければ「酒やめ始めのあの苦しみを味合わなくてすむ」のだよ。

 

だからその再飲酒の「呼び水」になるかもしれない「ノンアルビール」はやめたのだよ。

 

ノド越しが欲しけりゃ炭酸水で十分、サイダーで十分、コーラで十分だ

別にアルコール飲料やノンアル飲料が「悪」だと言っているわけではない。楽しくほどほどに飲める人は楽しんでもらえればいい。

最近の「アサヒ ゼロ」も興味はあるよ。

でもね、やっぱり僕はやめとくよ。

 

どちらかというと炭酸水やサイダー、コーラの方が好きだな。

飲む飲まないを簡単に選択できますからね。

飲んでも知れてます。

 

まとめ

ということで本日は「やっぱり僕はアルコール飲料やノンアル飲料よりも、飲む飲まないの自由度が高い炭酸水やサイダー、コーラの方が好きだなぁ」という話でした。

最近出てきた「アサヒ ゼロ」に少しときめいてしまいましたけど、冷静に考えると、どうせ生涯にわたって酒は飲まないのだから、余分な苦しみはもう味わいたくはないなぁ、だから「アサヒ ゼロ」は飲むのはやめとこう!といった内容でした。

 

いつも最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

今日も勝手な独り言でした。

いやぁ、もうすぐ6年目の後半に差し掛かるというのに「アサヒ ゼロ」に心ときめくとは「まだまだだなぁ」と思った次第であります。

 

今日もいい一日にしていきましょう。

 

それでは。

 

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