
どうも、メケです。
酒やめて1723日。4年と9ヶ月。
今年の夏を振り返ってみる
まず、自分
そこそこいい夏だった。
ブログ書いたり本読んだり、映画見たり。
旅もした。うちのみんなと過ごすこともできた。
どれもこれも全部、やっぱり飲んでないからじゃないかとは思う。
正直「酒のことで頭がいっぱいになる」なんてことは「やっぱり無かった」。
もしかしたら、適当に運動して汗流して、よく寝てたからかもしれない。
断酒が安定しているからかもしれない。
なぜ安定しているのか、これといった理由は今でもよく分からない。
けど、今のこの生活は気に入っている。
それだけだ。
夜は自然と眠たくなるし布団に入ればすぐ寝られる。
朝目覚めた時の気分も悪くはない。
部屋はオシャレで綺麗というほどでもないが、汚部屋ってわけじゃない。生活感のある部屋だ。
片付けようとか掃除しようと思えば数分もあれば片付く。部屋にいて居心地は悪くない。
家族との関係も悪くはない。
これは私が飲んだくれて色々問題を。。「今」は、起こしていないからだろう。
周りのみんなが嫌な思いをして自分に呆れて愛想をつかしてない。
これが自分にも返ってきて、自分の日常を過ごしやすくしてくれている、、、じゃないかなぁって思う(過去を棚に上げ、偉そうな顔をして言うことではないのだが、メンゴ)。
とりあえず、今の生活が気に入っているということだ。
この状態を僕の中で「よし」としている。
なので今年の夏も「いい夏」だった。
今年の夏は「飲んじゃった人」多かったなぁ
途中で飲むことに関してどう思うか。
今飲んでなきゃ、それでいいんじゃないかと思う。
その状態を「よし」とすればいい。
年間を通してどんだけ飲んでいるか。
今年の夏飲んじゃった人も今までは飲んでなかったわけで、年間に換算すればほとんど飲んでなかったはず。下手したら毎日晩酌している自称「適正飲酒者」の人たちと比べれば全然マシな飲み方。全くもって自分を卑下する必要はないのである。
自称適正飲酒者と比べたら「自分の飲み方に気づいている」だけで「雲泥の差」なのである。
そこへ持ってきて年間ほとんど飲んでなかったのだからOKOKだろ。
そしてこれからも堰を切ったように毎日飲むってわけでもないのに、1回飲んだぐらいで自分を卑下する理由がどこにあろうか、いや全くない。酒やめたければまた飲まなければいいだけである。できるかどうかが一番の問題なのだが💦
飲んで飲みすぎて、警察沙汰になったり、怪我したり、入院したりしただろうか。
いろいろあったのなら、そこは反省して出直すしかない。
でも、誰にも迷惑かけてないのなら、飲んだとしても自分を卑下する必要はない。
「時には中庸もあり」じゃないだろうか。
やめたいのか、飲みたいのか。常に2択である必要はない。
ましてや常に絶対断酒である必要もない。
飲んだことは仕方ないとして水に流せばいい。
ただ、「酒は飲みたくない」と少しでも思っているのなら、やめるのが「正解」だ。
そしてどうせやめ続けるのなら飲んだり飲まなかったりを繰り返すより、ずっと飲まないほうが断酒しやすいのは事実だ。飲んでもどうせまた酒やめたいとなるのがわかってるのなら、ずっと飲まないほうが「楽」だよ。
楽に酒やめ続けたいのなら「飲むな!」である。
自分のしたいように生きる。
そのためには酒という手枷足枷はいらぬ。
飲みたくない(自由に生きたい)のなら、「酒から開放されよ!」である。
世間はそういう雰囲気なのである。ほっとけばいい。流されるな。
最近の若者は酒離れが進んでいるというのに、マスコミや国や世間は未だに「酒はいいもんだ」風な雰囲気を醸し出している。
今年の夏は特に「コロナ明け?」なのかよう知らんけど、「やたら開放感」をあちこちで感じる。
特にテレビを見ていると。。。自分の周囲でも。。。
結局、そういう風潮なのである。
ほっとけばいい。
他人が飲もうがどーしようがほっとけばいい。
同じように自分が酒やめようがどーしようが自分の自由。
「飲みたくないから飲んでないのだ。ほっといてくれ!」ぐらいのスタンスで上等。
あれこれ言ってくる面倒くさいやつはほっとけばいい。
飲んでる自分を正当化したくて我々「酒やめ人」をダシにしているだけなのだ。
奴らも「できることなら」とか「あわよくば」とか「簡単に」酒をやめたいのだ。
酒をやめることがどれだけ難しいかぐらい飲んでる奴らが一番わかっている。
「スパッと酒をやめてる」ように見える私達を羨んでるのだ。
それを横目に我々はほくそ笑んでればいい。
面倒くさい奴はほっとけじゃ。離れとこー。
そやつらは飲んで飲みすぎてその後どうなるか。
奴らでも知っている。
あなた、私の飲んでた時の過去を思い返せばわかることだ。
つまりあなた私は、すでに今飲んでる人たちの先を走ってるのだから、飲んでる人たちの心境は手に取るようにわかるだろう。
そういうことなのだ。すでに酒から開放されてる我々は「高みの見物」でいいのだ。
気づけて行動に移せてる時点で大差!
やめたもん勝ち!
酒は合法であるが、薬物。
飲みすぎれば、いいことは全くないのである。
いや、今では「酒は少量でも体に悪い! 酒は万病のもと!」と医学界でそう結論づけられてるらしいですよ。
だから、飲まないほうが全くもって幸せなのですよ。
飲まなきゃ、そこそこ健康で無駄金も使わない、貴重な時間も浪費しない!
全くもって自由!
これに尽きる。
飲もうかどうしようか迷ったら、迷う必要もないのに「周りから迷わされてる」と思え。
世間や世の中に煽られて「そう、酒はいいもんだ」と、流されてると思えばいい。
今、自分が、なぜ酒をやめてるのか。
やめたいからやめたのだ。
そこを忘れんとこう。
飲んでない今の状態を「よし」としなきゃ、なぜやめたのか本末転倒である。
まとめ
というわけで、「どういう状態をよしとするか」についてちょっと書きました。
結局は、飲もうがどうしようが「今飲んでなきゃ、それでいいんじゃない?」といったことを書きました。
今もずっと飲んでない人はそのままレッツゴー。
飲んじゃったけどまたやめようって思うのなら再び続ければいい。
世間はほっといて酒から開放されて自由になりましょう!
ということで、今日もいい一日にしていきます!
いつも読んでくださいましてありがとうございます。
そんじゃぁね。