逃避した先も現実

どうもメケです。

酒やめて1534日目。

 

久々に、胸に「ギュ」っと刺さったので書き残しておく。

 

「逃避した先も現実」

この言葉「逃避した先も現実」をTwitterで見かけたんだけども、「本当、コレそうだわ」と思ったよ。

 

何か嫌なことがあった時。

苦しい時。

しんどい時。

 

逃れたいって気持ちになるよね。

わかるよ。

わかる。

 

そうなんだよ。

 

でもだからって、酒飲んで現実逃避してもその先は何も変わらない。

いや、何も変わらなかった。

 

いや、もっというと飲んだ分、余計に悪くなってたんだ。

 

そのことを忘れちゃぁいけない。

 

あの時

飲み続けたままの自分を想像した時、「ゾッ」としたから酒やめようと思ったわけで。

 

そこに気付いたから、今があるわけで。

 

だから、今穏やかに日常を過ごせているわけで。

 

その「今」は

「過去の現実」を逃避せずに「酒をやめた」という事実があったから、「その未来が今ここ」に「平穏なとき」として存在しているわけである。

 

つまりは逃避しなかった先の未来を「今」こうして生きているのである。

 

このことを忘れてはいけないのだ。

 

酒やめたい人たちに言いたい

 

逃避した先も現実なのだ。

 

ならば、今直面している「現実」は向き合って、解決するなり、相談するなり、より良い先(未来)になるように何かアクションを起こそうではないか。

 

苦し紛れに酒なんか飲んでもその先は知れている。

逃避なのだから。

 

飲んだ先は事態が悪化した将来が待っているだけだ。

飲んで逃避した先は現実だということを忘れてはいけない。

 

未来は今あなた(自分)の手の中にある。

今のあなた(自分)の連続が未来なのだから。

 

今をよりよく生きるんだ。

 

今日はこれが言いたかった。

今だけを見て、今がよくなるように生きていこうではないか。

 

先のことなんて誰にもわからない。

今がいいモノであれば、きっとその先の未来もいいに違いないのだ。

 

今日もいい一日にしていこう。

 

みなさん、いつも読んでくださってありがとう。

そんじゃぁね。

 

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