
おはようございます。メケです。
酒やめて1570日目。
昨日、子供の入学式に行ってきました。
縁あって自分の母校に30数年ぶりに訪れることとなった。
甦る記憶 母校
訪れたのは入学式で用のあった体育館と車を停めるグラウンドだけ。
なのに忘れていた授業中の風景が蘇った。
教室の異様にデカかった黒板。
無駄にワイドに湾曲していた黒板。
窓を見下ろすと遅刻して裏門から入ってくるケンジ。
風にのって漂ってくる牛のニオイ。
「モォ~~~」とか朝から牛がないてたよなーとか。
授業聴かず、外ばっか見てたなぁ、とか。
不思議なもんだ。
行ってもいない教室の風景が鮮明に浮かんできた。
そして、昔の面影のある体育館。
入学式の間中、そんな記憶が芋づるのように蘇っていた。
不思議なもんで、過去の記憶って普段忘れてても、なにかのきっかけで蘇る。
昨日の母校の入学式でもそうだが、家の近所の散歩道もそうだ。
甦る記憶 散歩道
昔、酒やめはじめの時、よく使っていた散歩道がある。
今はランニングすることが多いのであまり使わない道なのだが・・・。
たまに歩くと、当時「酒うつ」だったのか理由はわからんけど、酒やめてたのに「おかしかった」のを思い出す。
酒やめて、久々に歩く外。
眩しくて、すぐ引き返してきたり。
外にいかず、窓からぼーっと外を眺めてたり。
走り始めたけど数メートルしか走れなかったりとか・・・。
あのときの、苦しさが蘇る。
実はTwitterでも似たようなシーンを見かけると過去の記憶が蘇ることがある。
蘇る記憶 悲鳴
もともとは断酒で始めたTwitter。
なので、苦しいシーンとかも時々見かける。
それにつられて、過去の苦しかった自分が蘇る時がある。
今なら分かるような気がする。
酒だよなー。
酒、抜かないと・・・。
まずは、酒、抜かないと・・・。
でも、酒やめることも、自分でどーにもできなくなってる。
心の悲鳴。
その悲鳴が、ボクの過去の記憶を呼び起こすんだ。
心が辛くなる。
自分で周りを頼って、最後は自分で何とかするしかない。
最後は自分。
でも、自分で酒をとめられないことほどつらいものはない。
この怖さは、なった人にしかわからない。
この「怖さ」を知らない一般人とは、埋めることのできない「深い谷」が、南北に地の果てまで続いているように見えることがある。
それが見えた瞬間、こちらへは来たいと思わなくなるだろう。
それが、酒なんだ。
「なった人が悪い」とか言ってられなくなるぞ。
酒は周りの人も傷つけるしな。
酒なんて、なくなって困るものでもない(色んな意味で必要な人もいるけど・・)。
敷居
最初の入口というか最初の敷居ぐらいはちょっと高めに設定してほしい。
やめた人が簡単に飲めないようにはしてほしいものだ。
酒のCMだとか、コンビニ、スーパーだとか。
早く、今のタバコのような社会になって欲しい。
いつでもどこでも誰でも買えるような「酒」なんて、どーなん?
って思う。
その人、せっかく酒やめてたのに・・・。
酒やめるのどれだけ大変か・・・。
このこと、わかってほしい。
やめ続ける人のスゴさ
世の中、うまく酒を飲めない人もいるし、酒を飲み続ければ誰だってそうなる。
だから、そこは、用心して最初の敷居は高くしたいものだ。
敷居が高ければ、自分は飲んでなかっただろうと思いたい。
再飲酒する人も減るかもしれない。
しかし、この今の社会では酒やめた今の自分でもわからんぞ(頼まれても飲まんけど)。
そういう酒ありきの社会の中で、みんな「酒」やめ続けているんだ。
だから、「今酒やめ続けている人たち」はメチャクチャ凄いのだ!
と言いたい!(みなさんのおかげです🙏💕)
さいごに
というわけで、本日は母校の甦る記憶から、ある人のツイッターで、昔「とめられなくなった酒」で苦しんだ時の記憶が蘇ったので、書いてみました。
いつも最後まで読んで下さいましてありがとうございます。
心の平穏が一番です!
今日もぼちぼちといい一日にしていきましょう。
それでは。