水と油

どうも、メケです。

2023.10.31記

since 2018.12.24

酒をやめようとしている人には時として川の向こうの対岸の話に聞こえる時がある。川の向こう側の人にはおそらくこちらから見える川は見えないのであろう。

つまり、呑んべえはみな一緒。そう感じざるを得ない記事に出逢った。

いやその差は、時とともに開いていくばかりじゃないだろうか。

気づいた人と気づいてない人との差がここにある。恐縮ながら勝手な考察でございます。

 

デイリー新潮 “一生一口も飲まない”元TOKIO・山口達也氏の「断酒の誓い」を、“大酒飲み”ネットニュース編集者が心配する理由 筆者:中川淳一郎氏

上記記事のリンク先が削除されてもわかるように要約しておく。

要約:山口達也氏は現在断酒しながら講演活動で飲酒問題に苦しむ人々や家族をサポートしている。その株式会社山口達也のホームページのトップページに載せている山口氏の決意表明「アルコールを一生一口も飲まない」に関して、この記事の筆者は「宣言がストイック過ぎる。どうかご無理をなさらないでください」と心配してくださっている。宣言があまり極端になると「揺り戻し」があるよとか、講演活動においても完全断酒では「こりゃ、ワシには無理じゃ」と呑んべぇは敷居を高く感じちゃうのではないかとか、アルコールからの脱却を苦行と捉えてしまうのではないかなどと心配してくれている。一方筆者は人間ドッグでALS、AST、γ-GTPが引っかかったが、医者の言う通り酒はゆるく量を減らしながらプレッシャーもなく楽しい人生をおくっているよとのこと。

 

感想「水と油」話は永遠にかみ合わない

読んでてとても悲しくなってきた。世の中のやめる気のない自称適正飲酒者たちはおそらくこんな感じなのだろう。飲み会でもそうだ。酒やめてる人をどうせまた飲むんだから、ちょっとぐらいいいじゃないかって言い寄って来る。そして飲む方が正常(俺は違う)と言わんばかりに格好つけて絡んでくるのだ。からかい半分で。

この記事は生活を立て直そうと一日一日をマジメに生きている人をバカにしているような記事だ。

もっとも、被害者のことを思えば心は痛むし、生涯をかけて償わなきゃならんと思う。しかしこの記事からは、少なくとも真面目に「生涯アルコールを一口も飲まない」と宣言していることに関して、飲んでしまうかも知れないけど頑張って欲しいだとか、山口氏を応援しつつ心配しているようには伝わってこない。筆者の嫌味だけが私に伝わってくる気がしてならない。「山口くん肩の力抜けよ、オレは大丈夫だけどね」と・・・。

見ているこちらからは対岸の川の向こうの話のように聞こえてしまう。まるで他人事。

飲み会でもそうなんだが、そうやって絡んでくる自称適正飲酒者なんか相手にしなくていい。

こちら側に来ない限り「水と油」。話は永遠にかみ合わない。

にしても記事を書くなら最低限、依存症や酒害の一般的なところは勉強してからにして欲しい。

 

断酒がどれだけ大変か

酒をやめられないようになってから酒をやめてみればいい。

そうすれば酒をやめ続ける人の気持ちがわかる。

今の山口氏と同じ3年間ぐらい酒をきっぱりやめてみればよい。恐らくこんなふうには書けないだろう。

過去を反省し、未来を憂い、この先一滴も飲まないと心に誓わない限り酒はやめられない。それぐらいの気持ちで酒をやめなければ、ずっと酒はやめ続けられない。そういう気持ちになったことがない限り、自称適正飲酒者たちとは永遠に話は合わないのだ。

 

こちら側に来てみてわかること

ココまで書いといて言うのもなんだが、筆者はまるで昔の自分のようだ。

こちら側目線で見ると、筆者はまだ自分事にとらえてないなーと感じます(過去の自分を棚に上げてます)。

筆者は今入院中で久々にアルコールを抜いていると記事にありました。強制的とはいえ酒を抜いていることはラッキー。このままやめ続けるチャンスなのだろうけど、退院したら真っ先に乾杯🥂といくのであろう。過去の私の様に。

このまま退院して飲むも飲まないも本人の自由。飲みたければ楽しく飲めばいい。ただ、ただ、周りに迷惑だけはかけないようにしてほしい。それだけだ。

本当、酒は周りを巻き込む。本人の意図しないところで。ことが起きた後では遅い。

このまま飲み続けて大ごとにならないことを祈るばかりだ。

 

断酒の基本的な考え方

断酒は相当気合入れなければやめられない。薬を使っても、アルコール外来に通っても、断酒会などに行ったとしてもだ。意志ではやめられないことをするのが断酒だ。

なので一口も酒は飲まないという前提でやめ続ける。当然そんな簡単に酒をやめ続けられたりはしない。だから同じ境遇の人とつながり励まし合いながら断酒していく。最初から少しずつ酒量を減らして・・・なんてできないから「断酒」なのだ。

 

しかしながら減酒、節酒よりも「断酒」の方が酒をやめるハードルは低い。酒を減らすということは常に飲酒欲求が付きまとう。そして我慢できずに飲むことが増える。そのたびに「オレはダメだ」と自己肯定感を削られるのだ。

 

断酒は敷居が高く感じるのは最初だけだ。徐々に楽になる。続けるほど楽になる。生涯飲酒欲求と戦う訳ではない。そして続けば続くほど「これだけ続けられたんだ」と自己肯定感が上がってくるのだ。そのころには飲酒欲求もほぼなくなっている。

だから断酒の方が節酒、減酒より安心安全簡単なのだ。飲み過ぎてやっちまうことがないから。ひやひやドキドキがないのだ。なぜなら断酒は常にシラフ。自分に意識があるからだ。シラフな限りそういう意識が飛ぶことを心配しなくていいのだ。

まとめ

ということで、最初はこの記事読んで頭にきたのでカッカしながら書いていたが、次第に冷静になった。よく考えたらこの筆者は過去の自分と似ている。結局筆者は気づいてないから「呑んべぇ=さっくり依存症=ざっくり断酒している人」は「全て同列」のようなスタンスなんだよなーって。

こちら側へ来るとそうではないことがよくわかります。

酒やめ人がどれだけ真剣に酒をやめ生活を立て直そうと一日一日を真剣に生きているか。この生き方は私が「このまま飲み続けたらヤバイ」と気づく前の自称適正飲酒時代の生き方とは全く違います。

 

そこをこの筆者に分かってほしなーって思うのですが、たぶん「水と油」でしょう。

 

いつも最後まで読んでくださいましてありがとうございます。

 

それでは。

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