飲む前から実は決まっていたんじゃないかという話

どうも、メケです。

酒やめて1418日目。

 

酒を飲んでたときの自分が嫌になって酒をやめたのだけれども、なんで飲む飲まないを自分で適度に調整できないのか。コレは酒を飲み始めてからずっと悩みだった。

 

飲み始めた頃から飲むと寝るまでやめられないし、酔いが冷めて、今日は飲まんとうこうって思っても、なぜか酒に手が伸びる。これって酒飲み始めた頃からだった。

 

飲みはじめの頃は飲む量は少なかった。少なかったけど、やっぱり毎日飲んでいた。飲む飲まないを自分でコントロールすることを最初からできてなかったわけだ。

 

コレって最初からアルコール依存症なのか。

 

朝になれば起きて出勤するし、遅刻もない。ただ、酒は毎日飲む。日常生活に支障が出てはいないので一見依存症には見えない。

 

依存症には見えないけど、酒を飲み始めた頃からレールの上に乗っていたということは、きっと間違いない。「いつかやめないといけない時がくる」という終着駅は決まっていたわけだ。

 

でも、これ、「酒」だけの話じゃない。

 

昔から自分がしたいしたくない関係なく、自分の思ったように行動するのが苦手だったのだ。

 

例えば、お風呂。

子供の時、お風呂の順番になり、お風呂があいた。だから入らないといけない・・・のに、入れない。

とか。

学校から帰ってきて、制服をしまい、カバンを自分の部屋に持っていき、中のものを出して、親に見せないといけないもの、宿題、明日の準備など、一つ一つ片付けられない。やっている途中にほかに目に入ったものに脇見して、そのうちそちらへ取り憑かれる。気がついたら時間だけ経っていて何もできていなかった。

だとか。

「ごはんよー」と親に言われ、テーブルにつくが、テレビに見とれてご飯を食べない・・・。

だとか。

 

昔から目に入ったものに一瞬で心を奪われそちらの方へ行ってしまう。

 

そう、自分で自分の行動をうまくコントロールできないのだ。

 

今、何何をする。何何をしようと思って作業していても・・・だ。

 

取り憑かれた先が、たまたま強力な「酒」だっただけ。

 

酒は飲んでないが、取り憑かれる先が変わっただけのような気もする。

 

依然としてその「取り憑かれやすい=自分で適度にコントロールできない」という本質は変わらない。

 

僕はそのことと折り合いをつけて生きている。

 

日々、しなければいけないことはある。

している最中に気が散ってしまうこともある。

 

でも、酒以外のものなら途中で気づいて軌道修正できるのだ。

小さい頃からの訓練で身につけた。

でもその片鱗は今でもある。

脇道にそれて、そのことに熱中しすぎて脱線してることに気づけないこともあるけども・・・。

 

僕が思うに軌道修正しづらい「酒」はやっぱり危険な飲み物に変わりはない。

実はほかにも僕を虜にして、生活に支障をきたす危険なモノはある。

 

何々依存症というやつだ。

ゲームだったり、パチンコ、ギャンブル、買い物、スマホ、Twitter、糖と脂質でできた食べ物やジャンクフード。

この辺は距離が近づきすぎないように自分で用心している。

 

逆に、ハマってもそこまで生活に支障をきたさないものは寛容している。

ランニング、散歩、筋トレ、写真、読書、ブログ、家族など。

これらは気をつければ怪我をせず、散財しすぎず、適度なところで楽しめる。

 

つまるところ、僕は生まれつきハマりやすい人なんじゃないかと思うんだ。 

 

つまり、酒を飲めば酒にハマるということは「実は飲む前から決まっていたこと」なんじゃないかと思うんだ。

 

僕は最初から「酒」に向いてなかった人。

 

逆に向いてなくてよかったよ。

 

寝れば疲れのとれるこの肉体。

記憶力のいい頭。

モヤモヤしていない心。

今の自分がスキだ!

 

今日はそんなことをふと思ったので記録に残してみた。

ってことで、今日もいい一日にしていこう!

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