おはようございます。
メケです。
本題です。
断ることの大切さについて祭りの手伝いから帰ってきた嫁から聞いた「お祭りで勧められたお神酒」について私の感じた事をお話しします。
先日、お祭りがありましたが、私夜勤でしたので、嫁さんがお手伝いしに行ってくれました。
やっぱりといいますか・・・。
休憩所ごとにお神酒、すでに飲んでいる人もチラホラいたそうです。
初日の夕方は、神輿。
最終日は午前中で終わり、片付け。
そして、集会所で打ち上げ(当然お酒)。
エニタイムお神酒(お酒)だったそうです。
多分、祭りといえばどこでもそんな感じではないでしょうか。
うちの町内会も例外ではないですね。
お酒社会日本。
古来より日本酒があるぐらいですからね。
話を祭りに戻します。
参加しているお酒飲まない奥様方は、途中休憩ごとにいただくお神酒の処理に困っていたそうです。
うちの嫁さんはお神酒お断りしていたそうです。
嫁さんお酒飲めますが、たしなむ人です。
俗に、お酒止める人の気持ちに鈍感な人です。
ふふふ 笑。
祭りの後、昼からいろいろ用事で車使わないといけないから・・・ということでお神酒お断りしてきたそうです。
だから、お神酒勧められたからと言って、特に飲酒欲求わいてくる人ではないのでしょうね。家の嫁さんは。
嫁さんが帰って来て、お父さんお祭りのお手伝い行かなくてよかったわって言ってました。と言っても私は、朝、仕事から帰ってきたら昼寝てるので行けませんけども。
祭り、今年はさすがにお酒の席に「未練もなく行きたいとは思いませんでした」が、もし、行って飲んでしまっていたら・・・・。
想像すると怖いですね。
飲酒欲求ってどこで復活するか分かりませんからね。
お神酒を断り切れずに、飲んでしまう。
飲んでしまうといっても、結局は自分で選択してるのですから、飲んでる時点で思い通通りになっているのでしょう。
地元のお祭りだとしても、飲んだら困るなって思うのなら、誘われても「断る」って大切ですよね。
もし、祭りに参加したとしても、勧められたお神酒、断酒してるのなら、「断る」って大切ですよね。
もしも、あなたが断酒していたらのお話ですよ。
それが自分に優しい選択だと今では思います。
つまり「断る」っていうこと。
やはり、生活(自分)の軸に何を大切にするか。
これって、自分が心地よく生きていくには大切なことではないでしょうか。
私の軸は家族とノンアルです。
人から良く思われていたいということを優先するのか(他人軸)。
人からどう思われようと、自分を大切にして、断るときは断る(自分軸)。
後悔しない人生を送りたいですよね。
あれをやっておけばよかった。
これをやっておけばよかった。
人は、自分に残された時間がわずかになるとそうお思うらしいです。
これってよく考えたら自分軸で生きてこなかったっていうことなんでしょうね。
自分が本当は何がしたいのか?
意外と人って我慢の中で自分を犠牲にしてというか、やりたいことがあっても、いろいろと言い訳して、妥協して生きているのかもしれません。
それも人生なのですけど。
できること、やりたいこと、少ない中でも、自分らしく生きたいもんです。
自分が心身ともに疲れているときはなおさらです。
残念ながら、心身ともに疲弊している時に限って、心も体もマヒしています。
そして「断る」ことを思いつきません。
身体がある日突然動かなくなって気づくのです。
しかし、そうなってしまってからでは回復に時間がかかります。
心って大切です。
一つしかありません。
替えの効かないかけがえのないものです。
ねぎらってあげましょう。
休ませてあげましょう。
断ることって時には大切です。
心、いつもありがとう!
最近そんなことを感じちゃっています。
普段から断っていないと、いざとなった時断りづらいですよね。
普段から心のことを意識してあげたらいいかな、なんて思います。
本日は断ることの大切さについて、自分の感じているままお話しさせていただきました。
これは大酒飲みから鬱、断酒を経験して、心の在り方に向かい合ってきたから感じている事なのかもしれません。
自分を大切にしてあげましょう。
ギブアンドギブではやがて心も体も疲弊してしまいます。
ときどきテイクしてあげましょう。
心休めてあげましょう!
今日も、最後まで読んでくださってありがとうございました。
今日も、みなさんにとってステキな一日でありますように。